相談業を1年やってみて思う事

鑑定を始めてから、幾ばくかの月日が過ぎた。

これを経験して思う事は、非常に繊細で難しい仕事だという事だ。どんな仕事にしても苦渋を舐める事はあるわけだが、占い師というのはお客さんにアドバイスする立場なので、こちら側が心身ともにしっかりしていないとお客さんを混乱させてしまう。

また、占い師をある程度信頼して来てくれる人もいる中で、期待を裏切らないようにしっかりした鑑定ができるようにならないといけないという重圧もある。

なぜなら占い師の言葉を強く信じる人にとっては、アドバイザーの言葉で考え方が大きく変わる事もあるという事でもある。占い師というのはそれだけ怖い仕事でもある。

そういう意味でも、鑑定方法や占いの結果だけではなく、自己管理力もそうなのだが、人への接し方というのが非常に重要となる。また、お客さんの心象心理を全て把握できるわけでもないし、本当に色々なお客さんがいるため、それぞれに合った話し方や、鑑定結果の伝え方というのが重要になってくる。

また、オンラインで占う形式なので、リアルタイムの文章を通してやりとりする必要があるのだが、鑑定をしながら文章を書くというのは結構難しい。そもそも占星術は、鑑定や分析にある程度の時間が必要となるため、時間制限のあるチャット鑑定だとかなり難しいのだ。

最近では本当にシンプルな事だけを占うようにしているのと、事前にお客さんにもそれを伝えるようにしている。時間制限のある中でできるのは、簡単な性格占いとか、縁の強弱、簡単な適職占いなどである。また、ある程度の相談内容に素早く対応するために、あらかじめ幾つかのテンプレートは作っているものの、やはり簡単ではない。

他の相談は、メールで時間をかけて行う事が殆どになったが、料金が上がればそれだけ客足は遠のく。でも、それもある意味お客さんにとっていい事とも言える。これもあって、最近は休みがちでもある。

さらに言えば、西洋占星術の場合、出生時刻がとても重要になるため、出生時刻が不明な場合は殆ど占えない。そこにも葛藤がある。対面鑑定の場合は、鑑定をしながら話をする事ができるのだが、今のところは対面をする事はない。

もともと私は表現欲求があるタイプで、何かで考えや思いを吐露したいタイプ。伝える事にはオンラインもオフラインもないと思うのだが、私は対面形式は苦手である。

特に調舒星を持つ私は、屈折物を通しての表現を好む。例えば言葉でそのまま伝えるというよりも、二次的な行動を通して示したりする。それは文字を書いて意思を伝えたり、楽曲や絵画を創作したり、喧嘩になれば怒った様子を隠し、その怒っているんだという意思を折り曲げて、どこかにそれを残したりする。

独自のフィルターを一枚隔てて感情を表現するので、面倒くさい人なのだ。勿論、全ての事ではない。

対面で占いをする場合、占いに集中しなければならないが、もともと時間がかかる上に、私の場合は目の前のお客さんに対しても注意がいってしまい、結局集中力が分散してしまうのだ。多分、これは新米占い師あるあるかもしれないけれども…。

これは調舒星の特徴でもあるように思う。占いをしながら、お客さんの動向を伺い、今何を考えているのか、表情はどうなっているのか、声色はどんな感じか、手の動きや目の動きはどうなっているか、時間が経過して待たせ過ぎていないかどうか、という事も気になる性質のために、集中できなくなるから本来の鑑定は難しくなる。

常連さんともなれば別という所もあるが、やはり対面での鑑定は向き不向きがあるのかもしれない。事前に相談内容を頂き、そこから鑑定することは可能だが、なかなか現状のシステムでは難しいようだ。

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