占い師になる時と夢の話について

占い師になったのは2024年の4月だったが、2023年の11月末位から12月初旬ぐらいに応募書類を送った。そこで実際に占い師となり、活動を開始する前の話。

2023年の夏、私は何人か占い師へ鑑定を依頼していて、その中で海外に在住している占い師の人の鑑定を受けていた時期。その後も連絡を続けながら、占星術の話や海外での生活について話をする機会があったのだが、それより少し前の6月ぐらいに、私は夢を見た。

その夢は、作業服を着た若い髪を染めている女性が、私に名刺を渡すという内容だった。私には霊感はないが、はっきりとした夢や、鮮やかな背景の夢というのは、私にとっていつも印象的であり、その夢の意味を調べていた。そこで、名刺をもらう夢というのは、色々な心理的な意味があるが、その人の力によって、仕事または学問について運が広がるという意味があるよう。

最初、この意味がその占い師のことを指しているのか考えていた。しかし、仕事を得たのはその担当者のおかげでもある。ただ、もちろんそれが考えすぎであり、そうでない場合もある。その夢のあと、数ヶ月して今の担当者に出会ったのだ。また、先ほどの占い師の人も、この担当者も、どちらも私の命式と共通している事がある。その先生は日座冲殺を持ち、担当者の女性も日座冲殺をもっている。

そして、私にとってその干支は、私の命宮(紫微斗数で使われるが、四柱推命でも使われる事がある)でもあり、不思議で、なかなか面白い。何にせよ、同じ干支というのは、60分の1の確率なのだから。ちなみになぜ、夢の中の女性が作業服なのか?というのは、私が当時、不動産や建設関係で事務をしていた時期だったから、毎日目にしていたから、だと思う。

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鬼門関殺と魁罡殺を持つ身として思う事

漢字の並びからしてとても怖い雰囲気ですが、私の命式ではこの両者が成立しています。

鬼門関殺は、命式の日支と十二支の特別な組み合わせで成立し、また、行運によっても該当する支が巡ってくる場合に成立します。鬼(神霊)が通過する道であるため、あまり良くないとはされていますが、何事にも陰陽がある所を鑑みれば、何かしら有益な所があるもの。例えば、霊道であるので、インスピレーションに関係する利益などがあるようです。

鬼門関殺にもいくつか種類があるようですが、私の場合は、魁罡殺もあるので、なおのことキツと思うことも多かったです。だから、占星術に出会ったのだと思います。本当に果てしない人生を送っている感じがします。特にインド占星術で見る大運のケートゥ期は、配置が悪かったので非常に辛い時期だった事を覚えています。

でも、そうは言っても、鬼門関殺を持つ人はまぁまぁいるんじゃないかなぁ、と思う。書籍にもよるそうなのですが、日支を基準とし、月支年支、時支の範囲まで見るため、結構な成立数だと思う。そんな命式と一緒に人生を重ねれば、人生にとって解脱というテーマは尊いと感じれるようになるのかもしれない。それを確証付けるかのように、木星とケートゥも私の12ハウスで手を組み踊っています。

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四柱推命での身強と身弱の判定法について

まず、四柱推命の流派は幾つかあり、流派によって身強や身弱の判定も異なっていますが、私の意見を書いていきます。

四柱推命では強弱を判断する場合、命式から五行の力量を測り、日主の強弱を判定する流派もあれば、十二運の中に身強の星があれば、その人を身強とするという所もあります。例えば、無料の占いとかですと、身強判定になっているのもあれば、身弱とである場合もあります。これはおそらく流派によるシステムの違いによって変わっています。それは上記の理由によって違いが出るからです。

私の場合、強弱の判断は五行の力量を推し測って決めていますが、大運の流れからその人がどんな状況を過ごしてきたか?というのも強弱判定の参考にします。特に時柱が不明な場合はこれまでの流れを把握して、五行の力量を判定します。また、十二運を使って判断する部分もあります。ただ、それらの使用方法は分けています。

例えば、五行の力量が身弱であった場合は、運気の波を身弱で受けると考えます。つまり今後の運気の流れです。次に、五行の力量が身弱であった場合でも、命式の十二運に一つでも身強の星があった場合、(算命学や鳥海流で見る、帝旺=天将星、建禄=天禄星、冠帯=天南星)元々の性質(性格)は身強の質があるとみます。

最初の五行の力量と運気の流れから、身弱身強か判断し、運気を見て発展する運気か?後退する運気か?を見ていきます。しかし、内面的な部分においては十二運で見ることもあるのです。総合的にみて、十二運にも身強の星がなく、五行の力量も身弱であるのに、精神的な部分で身強な雰囲気を持つ場合があります。十二運が弱くても、全て同じ十二運が並ぶ場合は、身強の質があると見る。三つ同じ五行が固まると、その質が強まると見るのと似ています。

つまり、命式でみると身弱であるように見えても、実は内面では自我がとても強い人もいるわけです。ただしこれは精神的な面であり、これで見る身強や身弱を使って運気の流れを読むことはないです。この身強は、こだわりとか個性があると言い換えることもできます。

そして、最終的に読んだ命式の内容をもってして、それをどう伝え、相談者をいかに良い方向に誘導するかということが重要(私の場合は)であると思うのです。色々な先生がお話しされていますが、実際の鑑定での的中率や、命解の素養は、その鑑定士の技量によるのだと思います。同じ流派だとしても鑑定士によって、それぞれ身弱や身強の判断も違うようです。

それは五行の力量の判断が点数化されておらず、視点や経験も重なり、細かな判断が鑑定士によってそれぞれで違うからですね。また相談者の命式や、育った環境もそれぞれ違います。また、五行の力量の変化だけではなく、時柱の有無や、大運の順序、干合や刑の扱いや影響の考え方もそれぞれ異なりますので、結果としてタイトルにある日主強弱の判定も、ある程度それぞれの視点が入ってくるというのはあるのだと思います。

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